飲食業に携わる経営者として
今回、コロナ感染性という今までの人生で経験したことのない現実を
忘れないうちの書き留めておこうと思います。
飲食店の経営者として、東京で2店舗を運営していましたが
経営は順調そのもの、毎年商売は右肩上がりという状況でした。
ただ、その状況に対して
我が世の春を謳歌する
というのとは少し違って
そろそろ、何かが経営的に起きるかも知れない、、、
そんな心構えで日々臨んでいたように思います。
勤め人のときには、東日本大震災が起きました。
街中から明かりが消え、当時の経営者の静かな不安を
感じました。
また今は亡き母も商売人で
バブルの真っただ中を過ごしていて
そのお金の使いっぷりは豪快そのもの、当時のバブルを知っている
今の50代以上の方々は、
そう、そう、すごい時代だったなぁ!と
懐かしく思うかも知れません。
しかし、バブルは崩壊。我が家もご多分に漏れず崩壊。
生活に困窮した時期を過ごしました。
今年、私は経営者として10年目になりますが
歴史を振り返れば、おおよそ10年に一度くらいは
何か大きな事件が起こるもの
そう考えてリスクに備えた
シュミレーションは常日頃からしてきたように思います。
心の準備と、実際の金銭的な準備の両面です。
ただ、ここまで事業が完全にストップする
というのは想定を遥かに超えていました。
自粛生活のスタート
コロナ感染性の問題が起きて
完全休業に追い込まれたのは、忘れもしない2020年4月です。
3月にはコロナ感染性は既に広がりつつありましたが
その当時のお店は満席でした。
ただ3月の最後の最後、
正体不明の疫病に、だんだんと世間がざわざわしていき
キャンセルが入り始めます。
そして、4月完全休業に入りました。
先に話したように、心も含めて準備してきたつもりなので
そこまで大きく取り乱すことはありませんでしたが
先ず、真っ先に頭をよぎったのが
大きな事業の支出です。
自分の生活は数年働かずとも賄える備えはありましたが
東京での商売は大きなお金がかかります
当時、政府からの支援もどうなっていくのか定かでない中
この状況は長くなる、、、とリスクを大雑把に
シュミレーションしました。
支出を見直し、現金をつくる
長期戦になるのは明らかだと思い
先ずは家計を見直します
①携帯を格安なものに乗り換える
②スポーツクラブの解約
③生命保険の解約
④断捨離し売れるものを全て売り現金化
こんな感じで自分の生活は見直しましたが
事業の支出という意味では、こんなものでは足りません
積み立てていた倒産防止共済が満額になっていたので
すぐさま解約し現金化
これはそもそも自分で積み立ててきたお金ですが
解約手続きもスムーズで、すぐに現金化できたので良かったです。
一先ず、目先の急な支出があれば、こちらを充てられるので
安心しました。
そして、決断に少し時間を要してしまいましたが
2店舗中、1店舗の解約です。
店舗家賃の支払いというのは、とても大きく
ここを減らすことにより、心の安定が図れたように思います。
私は亡き母が商売をやっていたので
良い面も悪い面も、多くを母から学んだように思います。
母の時代はバブル真っただ中、世間はそれこそ
この世の春を謳歌している人々で溢れていたように
思います。

そして雲行きが怪しくなってきたのにも関わらず、
当時の母は、プライドが色々と邪魔をし
なんとか、盛り返えそうと借金を重ね
結果、逃げるのが遅れたのです。
その頃、私は学生でしたが、
母の自尊心を傷つけないよう
事業の縮小、生活の見直しをやんわり伝えていました。
最後は私が一人暮らしをしていた賃貸2DKのアパートに
マンションを引き払い、母も引っ越してきてくれて
しばらく家族3人、狭い空間で生活をしました。
亡くなるまで、母はそこのアパートに住んでいたのですが
最後はそこでの生活を心豊かに暮らしていたようで
本当に良かったです。
トマトやブルーべリーなど色々なものをベランダで育て
アパート暮らしを気に入ったようでした。
バブルの呪縛から逃れ
小さな幸せの時間を見つけられたのでしょう。
なので、私は何かあったら
周りの目など気にせず、言葉はわるいですが
逃げる、という選択肢を常に心に留めていました。
現在とアフターコロナ
一緒に頑張ってくれていた多くのスタッフも
今は数名残るのみ。
アフターコロナは完全元通りとはならず
様子も変わってくることでしょう。
残る数名のスタッフには、今後の自分の生活を第一に考えて
動いて欲しいと伝えましたが
現在に至るまで、私の元に留まってくれています。

私ができるわずかな事と、
あとはそれぞれ自分の力で生活を工夫し
過ごしているようですが
最後、一人になるのも想定しながら
このコロナ化を過ごしています。
経営者としてスタートした10年前、
毎日不安で寝られず、仕事エリアに入ると
動機が激しくなり、呼吸が上手くできなかったことを
覚えています。
それでも責任感から
一歩仕事に入ると、なんとかその場では
やっているのです。その繰り返しでしたが
この10年の間に、知らず知らずに
神経も太くなりました。
何かあれば、家賃の高い東京を離れ生活を立て直そう
というイメージがあります。
それは既に母親のビジネスの栄枯盛衰をそばでみてきてので
リスクヘッジをしてきましたし
出来る、という覚悟が持てていたのかもしれません
その覚悟が今回大きな混乱に陥らなかった要因の1つでも
あると思います。
ビジネスの成功を
我が世の春と謳歌していただけでは
メンタルが最初に砕けていたかもしれません。
それでも私のように、経営者として10年経過しているのは幸い、
それに、事業規模がそれほど大きくない事業者(わたし)と
事情もそれぞれ異なり
ご心労が重なり、苦しい日々を過ごされて
いる方々が沢山いらっしゃることは
重々承知しております
少しずつ、状況が改善し
心晴れる日が訪れますように。。。